大判例

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大津地方裁判所 昭和46年(タ)6号 判決 1973年5月02日

原告 甲野春子

原告 甲野一郎

右原告ら訴訟代理人弁護士 浜田博

被告 甲野正一

右訴訟代理人弁護士 村瀬統一

主文

被告が亡甲野花子との間に昭和四五年一二月二五日滋賀県大津市長に対する届出によりなした養子縁組が無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

原告ら訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、原告春子は昭和一二年五月七日亡丙川花子(以下花子という。)と養子縁組をなし、花子が昭和一六年四月七日亡甲野太郎と婚姻して太郎の戸籍に入籍した際、太郎とも養子縁組をなして同戸籍に入籍したものであり、原告一郎は昭和一九年三月一三日右太郎と花子およびその養女たる春子と婿養子縁組、婚姻をなしたものである。

二、ところで、右太郎は昭和三九年一月八日死亡し、花子も昭和四六年一月二四日死亡したのであるが、戸籍には被告と花子とが昭和四五年一二月二五日養子縁組(以下本件縁組という。)をなしたことを滋賀県大津市長に届出た旨の記載がある。

三、しかしながら、本件縁組は、花子の意思に関係なく被告の実父たる訴外乙山次郎がほしいままに養子縁組届を作成して届出たものであって、花子には被告と縁組をする意思はなかったのであるから無効である。仮に然らずとするも、本件縁組届出当時既に花子は意識障害の程度がひどく、正常な判断作用ができなかったのであるから養子縁組をするに必要な意思能力はなかったものというべく、かような状況下になされた縁組届出は無効というべきであるから、いずれにしても本件縁組は無効といわなければならない。

四、よって、原告らは被告に対し本件縁組の無効となることの確認を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、本件訴えの利益について

≪証拠省略≫を総合すれば請求の原因一記載の事実を認めることができるが、右事実によれば原告らはともに花子の養子として花子の遺産に対する相続分を有するものというべきところ、≪証拠省略≫によれば、戸籍には被告が昭和四五年一二月二五日花子の養子となる縁組届出をなしたる旨の記載があることが認められ、右縁組届出の効力如何により原告らの前記相続分が害されることになるから、原告らは右縁組届出の無効なることの確認を求める法律上の利益を有するものということができる。

二、本件縁組の届出がなされた手続的経過について

≪証拠省略≫を総合すると、被告の実父次郎は昭和四五年一二月二二、二三日頃養子縁組届出用紙に証人としてAの署名押印を得た外、横浜市中区役所内の代書人に花子、被告署名欄等必要な記載事項を記入してもらい、被告に被告名下の押印をさせ、証人欄のB名下には自らBの承諾を得て同人に代わって押印し、その後同月二五日大津市に赴き大津市内で甲野名義の印鑑を買い求めてこれを花子名下に押印し、花子と被告との養子縁組届書を作成し、同日これを大津市長に対して提出し受理された事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

三、本件縁組届出当時の花子の病状について

≪証拠省略≫を総合すれば、花子は昭和四一、二年頃から左手関節、膝関節の強直を伴う左半身の不全麻痺がみられ、昭和四五年四月頃までは一応自力で歩行が可能であったが、同年八月頃からは動脈硬化による脳血栓症、脳軟化症に罹り、右上下肢とも運動障害が生じ歩行不能となり、健康保健滋賀病院に入院して自力歩行を目的とする理学療法を受けたが、同年九月頃右鎖骨々折を併発してから次第に衰弱し、同年一一月頃から軽い意識障害が生じ、同年一二月一六日頃からは傾眠、無欲状態となり、本件縁組届出時である同月二五日頃は意識障害の程度がひどく判断能力は皆無に等しい状態であり、その後そのまま衰弱、意識障害が強まり翌年一月二四日死亡した事実を認めることができ右認定をくつがえすに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、本件縁組は一方の当事者である花子が意思能力を失っていた時に届出、受理されたものであることが明らかである。

四、本件縁組の効力について

1  そもそも当事者間に養子縁組の合意が成立し、かつ、その当事者から他人に対し右縁組の届出の委託がなされたときは、届出が受理された当時当事者が意思能力を失っていたとしても、その受理前に翻意した等特段の事情のない限り右届出の受理により養子縁組は有効に成立するものと解すべきであり、被告も本件縁組届出時より前の昭和四三年一月頃花子と被告との間に養子縁組の合意が成立し、かつ昭和四五年四月花子と被告とから乙山次郎に対し右縁組届出の委託がなされ、右委託に基づいて右次郎が前認定のような手続を経て届出をなした旨主張するので以下縁組の合意と委託の有無につき判断する。

2  養子縁組は、もともと実親子関係と異なり、その現実態様が一様でないのに対応して就中成年養子については社会的擬制的親子関係も多様になり、したがって実質的縁組意思の内容も一義的でなく、その意思内容の解釈決定は親子としての精神的つながりをつくる徴表としての法律的(相続又は扶養)又は社会的効果(扶助協力生活関係)の全部又は一部を内容とするものであるか否かを一応の標準としてみるべきところ、これを本件についてみるに、≪証拠省略≫によれば、本件養子縁組の提唱は別に原告ら夫婦の養子があるに拘らず花子の方からなされたことが認められるから問題となる本件養子縁組の実体的効果意思内容も、花子の側の事情に影響されるところが大きいと経験則上いえるところ、≪証拠省略≫を総合すると、

(1)  原告ら夫婦は、昭和二一年頃満州から引揚後主として北海道に居住し、その間大津市○○に居住していた養親の太郎、花子夫婦とは別居し、昭和三九年頃太郎が病死する直前頃に大津市に戻りその後太郎らが住んでいた大津市○○○(現在原告らの肩書住所地)の土蔵に同居する様になったこと、

(2)  太郎は、原告一郎のために前記大津市○○の居宅を売却処分しなければならない羽目に陥ったことがあった経験に照らし、花子のために自己の遺産を確保してやる必要性を感じ、昭和三八年一一月一四日原告らはともに既に相続分以上の特別な受益を得ているから自己の遺産に対する相続分はない旨の公正証書による遺言書を作成し、実質的には自己の遺産を原告らに相続させないものとしたこと、

(3)  太郎らは昭和三六年頃から前記土蔵の前に家の新築工事を着手し該工事は昭和三九年太郎の死後間もなく完成したのであるが、その家は二階建で間取もかなり広いものであるにもかかわらず、花子は原告ら夫婦に住まわせずに一人で居住し、そのため原告らは子供三人とともに依然として土蔵に住み、右新築の家に住み移ったのは昭和四六年花子が死亡してから以降であること、

(4)  花子は、かねてから親戚の者に対し一郎らの様に親を見捨ていく様な者には面倒をみて欲しくない等ともらし、花子や太郎の兄弟の子を養子にもらって老後をみてもらいたいとの意向を持ち、実際には花子の実弟丙川良一の娘をしばらく預かったこともあるが、性格的に花子の好みにあわず結局縁組はまとまらなかったこと、

(5)  さらに花子は、実弟雪子の夫乙山次郎が昭和四一年頃花子方を訪れた際、次郎、雪子間の子である被告を養子にしたいとの意向をもらし、昭和四三年一月頃被告が花子の求めに応じて花子方を訪れた際被告に原告ら夫婦の長女月子と一緒になって跡をついでくれる様頼み、被告もこれを承諾したけれども、原告らの方でこれを拒んだため、他に花子が気に入る被告の結婚相手を見つけ、その時に夫婦で縁組することとし、互に適当な女性を見つけることを約束しあったこと、

(6)  花子は、その際自分が寝込んだら面倒をみて欲しいと被告に希望を述べ、被告もまた一人では他に仕事(自動車運転手)を持っている関係上面倒をみることは出来ないが、結婚すれば花子の希望通り面倒をみることができるものと考えて花子の申出を諒承していたのであるが、その後双方ともなかなか適当な女性がみつからずに経過したこと、

(7)  そして、被告は一人で花子の養子になる考えは毛頭なく、またそのような準備もしていなかったところ、昭和四五年六月頃次郎から突然一人で花子の養子になる様に言われ、事態の急変におどろいたものの養子になって大津市に転居した場合の職業、花子の生活の世話の仕方等についてなんら具体的な考えをもたないまま届出手続を次郎に一任したにすぎないこと、

以上の各事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

3  右認定の事実によれば原告らと花子との関係は必ずしも円満ではなく、むしろ原告らは、花子から十分信頼されておらず、その様なことから既に老令にあり健康状態がすぐれなかった花子が自己の向後の日常生活のことを慮んばかり、前認定(4)の様に近親者から養子を迎えたいとの意向を持ち、花子の実妹の雪子の子である被告に前認定の様な養子縁組の話をもちかけたものと推認され、あながち不自然とは断じ難いが、他方花子の考えていた養子縁組の内容、即ち同女の実体的縁組意思の内容は、縁組届出時において被告が花子と同居して実際に花子の生活上の世話をすることが主たる内容で、そのために被告が花子の気に入る女性と結婚することがいわば当然の縁組意思内容と考えており、被告自身も一人で花子の養子になることは考えてもいなかったものと推認される。

もっとも、証人乙山次郎は、同人が昭和四五年四月頃花子方を訪れた際花子から嫁が見つからなくてもいいから先に被告を養子に欲しい、届出手続は一切任せると依頼された旨供述し、被告もおおむねこれに沿う供述をするけれども、そもそも花子が被告を養子にしたいと考えたのは日常生活の世話をみてもらうためであり、そのために被告が結婚することを前提条件としていたのであり、そのことを被告も熟知していたにもかかわらず、そのような世話をすることが殆んど期待できないのに、右時期にあえて被告一人だけを先ず養子にしなければならない様な特殊な事情の変更は、本件においては特に見当らないことに照らしいずれも措信し難い。

4  そうだとすると、昭和四三年一月頃より本件縁組届出に至るまでの間には未だ前記内容からなる実体的縁組意思が双方当事者に熟し確定的な合意に達するまでには至っていなかったと推認せざるを得ず、したがって前認定の花子と被告との縁組に関する合意はたかだか将来ありうべき養子縁組の予約の域を出ないものとみる外なく、他に前示実体的縁組意思の合意成立を認めるに足りる証拠はない。

5  なお、被告の本件縁組届出委託の主張につきみるに、証人乙山次郎および被告は、昭和四五年四月頃次郎が花子から印顆を預かり同年七月頃にもさらに届出手続を催促されたが、右印顆を紛失したり多忙であったため届出手続が遅れた旨供述するが、(1)、前示の様に縁組内容に変更を来たしそのために次郎が右時期に花子から届出の委託を受け、催促を受けたものとせば、そもそも多忙等の理由で届出手続が遅れるということは考えられないことであるにもかかわらず、本件縁組は前認定の様に花子の病状が相当悪化して意識障害の程度がひどくなった時期にはじめて届出受理されたものであること、(2)、しかも、右届出用紙の花子の署名欄の押印は、前認定の様に次郎が大津市内で買い求めた甲野名義の印顆を使用したものであって花子所有の印顆が使用されたものではないこと、(3)、印顆は身分行為における意識確認のためには極めて重要なものであり、したがってそのような大事なものを預かりながら紛失するということはまず考えられず、またもし紛失したとせば大事なものであるだけにその旨を花子に打明けて陳謝したり再交付を受ける等なんらかの前後策を講ずるのが当然と考えられるが次郎がその様な措置をとった形跡はなにも認められないこと、等に鑑みればにわかに措信し難いものといわなければならない。

6  そうすると、本件縁組はかつて当事者間に養子縁組する実体的合意が成立しておらず、また一方の当事者である花子から届出の委託なく、すなわち形式的縁組意思の合致もなされていないにもかかわらず届出受理されたものであって民法八〇二条一号により無効といわざるをえない。

五、よって、原告らの本件縁組の無効確認を求める請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本昭一 裁判長裁判官石井玄、裁判官木村修治は転任のため署名押印できない。裁判官 杉本昭一)

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